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2008年8月13日

 残暑お見舞い申し上げます.
 先日,通信の企画で三浦了さん(元もみじ寮あざみ寮寮長)にお会いしてきました.若い日の三浦さん,見学に訪れた近江学園で糸賀一雄さんに出会い,2時間ほど話をして,その場で,この人のもとで一生働きたい,と思ったのだそうです.
 その昭和32年春,近江学園へ赴任し,まもなくあざみ寮に出向,そして寮長に.以来,半世紀あまり,今年の7月にすべての職を辞されるまで,あざみ寮,そしてもじみ寮で障害児者の福祉に携わって来られました.就職された頃の近江学園は,四六時中(24時間)勤務,耐乏の生活,不断の研究がモットー,決して楽な毎日ではなかったはず.それなのに,「楽しかったなあ」と,遠くを見つめるまなざしは本当に穏やかでした(続きは是非,通信―12月発行―で).
 帰り際,人と人の出会いの不思議について話がおよび,「嶋村さん,袖振り合うもたしょうの縁,の,たしょうってどう書くか知っているか?」と尋ねられました.「他を生かす,って書くんや」.「多少」かと思っていた私は論外ですが,辞書で調べると,「多生」でもいいようです.「多生」とは仏教の言葉で,この世に何度も生まれ出ること,「他生」は前世のこと.道で袖が触れ合うようなちょっとした出会いでも,それは宿世の因縁によるもの.すべては理由のないただの「偶然」ではなく,縁によって定められた「必然」である,とあります.三浦さんのお話しは少し違いました.「相手を生かさんと縁とは言わんのや.袖が振り合ったぐらいでは縁とは言えんのや」
 ちょっとした“出会い”は日常の中に様々にあります.それをきっかけに,その人と関わり合うことではじめて縁になる.人と人との出会いを大切にという思想は同じですが,人と関わること,それも人をおとしめるような関わりでなく,その人を大切にする関わりをしたい.それが同時に自分も生かすことでもある.前世の縁とありがたがるのでなく,未来につながる関係を作っていこう.
 自分の解釈も入りましたが,私はこちらの方が好きです.どうでしょうか?

                                 事務局 嶋村伸子